日本一
それは筑波サーキットで初めて58秒台を出した時のことです。
当時筑波サーキットをメインに走っていました。
そしてMCRに出会ってしばらくして、日本一になりたいという夢が出来ました。
そんな夢が叶った時が来ました。
それは2003年1月のバトルエボミ隊というクラブの走行会でした。
素人最速決定戦という名の下、関東や関西から凄腕の素人たちが
集まりました。
雑誌のタイアップなどもありとても盛り上がった走行会でした。
土曜日に練習走行をして、日曜日に決定戦を走る予定で幕が開けました。
しかし練習走行開始直後、悪夢は起こりました。
1周もアタックすることなくミッションが壊れてしまいました。
「終わった〜・・・」
ピットまでは何とか戻り、付き添いで来て頂いたMCR小林社長に状況を説明。
その後の僕はもう車を眺めながら呆然としてました。
壊れた瞬間、ギヤーが粉砕したのがわかったので、
その場でどうにかなることではないと僕自身も良く判っていました。
そんなとき小林社長が
今から工場戻って明日走れるようにしてくれると言ってくれました。
地獄に仏とはまさにこの事でした。
それから工場に戻って作業中の仕事を全て中断して作業してくれました。
代替のミッションは小林社長が自分用にストックしていたもので
それを快く貸してくれました。
明日また走れる!
と喜びが半分、この借りは結果で返さなければ!
という緊張で頭が一杯だったことを覚えています!
そして決定戦当日が幕を開けました。
台数は十数台いましたが、アタックする人以外後続車に気を使い
アタック中でも引っかかる事は1度も無かったです。
またサーキットのオフィシャルが走行ごとに路面を掃いてくれました。
こんな走りやすかった走行は後にも先にも無かったです。
皆が同じ時間を共有し合っているというか、一つになっているというか
他の走行会などには無い何かがそこにはありました。
それはもう不思議な感覚でした。

そんな決定戦ですが、20分×3回のアタックがあって
1回目59秒真ん中
2回目59秒0が出ました。58秒も目前です。
そこで社長が「ブースト上げよう。」とコントローラーの調整をしてくれました。
3回目のアタック、ブーストは1,8k、最終コーナーの飛び込みで自分の中では
「ヨシ!」と手ごたえは感じていましたがピットに戻るまではどこか不安でした。
ピットに戻った時には仲間が皆、手を上げて喜んでいます。
タイムを聞いたら
「58秒7」
「よっしゃ〜!!・・・・」
ヘルメットを被ったまま知らず知らずのうちに涙がこぼれてきました。
その時もう勝ち負けなんてどうでもよかったです。
そして自分の事もどうでも良かったんです。
ただただ、2日続けて筑波までサポートに来てくれ、またミッションを
快く貸してくださった小林社長。
作業を全て中断してまでミッションを交換してくれたメカさん。
サポートしてくださったメーカーさん。
そして応援してくれた仲間達。
その人たちの期待に少しでも応えたれたかな。
と思ったら、それだけがもう嬉しくて嬉しくて・・・。
応援してくれた全ての人にただただ感謝するだけでした。
それからもサーキットを走り続けていますが、
この事が車人生の中で一番嬉しかった出来事です。
いや今までの人生の中で一番嬉しかった事といっても過言ではありません。